Interview先輩たちがスズキを選んだ理由

YUTA KONISHI
古西 勇太

四輪アジア部(スズキミャンマーモーター出向)
2017年入社
前職:商社での営業業務
※所属部門は取材当時のものです

新興国の市場開拓に注力するスズキで、
自分の力や情熱をすべて国際協力に注ぎ込みたい

Episode 01私の入社動機

大手企業を退職しJICAへ。
2年の任期を経て、一度は戻らないと決めた「会社員」に復帰

新卒で入社した大手海運会社は4ヶ月で辞めました。鉄鉱石や石炭を運ぶ船の運行を管理するオペレーション業務を担当していたのですが、当時は若かったこともあって「0から1を生み出すビジネス」への憧れが強く、即退社を決意。大手自動車メーカー系の商社に入社し、営業として自動車向けの材料の調達や販売に従事。自動車メーカーの購買部的な機能も担い、研究所と共同で材料の開発なども手がけていました。26歳の時には最年少マネージャーとして中国の広州に赴任。当時はまさに会社のために全精力を費やして活動していましたね。でも、次第に「このエネルギーを会社のためではなく“世界の誰か”のために使いたい」と思うようになったんです。その頃にはすでに恵まれた環境で多くの経験をさせてもらっていたので、その経験を活かして新興国に貢献したい。国際協力を生涯の仕事にしたいと考えていました。

そして中国から帰国した半年後に商社を退職。「もう会社員には戻らない」という覚悟でJICAの青年海外協力隊に入りパプア・ニューギニアへ赴任しました。コミュニティー開発という国際協力の最前線に身を置き、任期の2年を終えた後にたどり着いた答えは「一人の情熱、魂によって変えられる世界がある」ということ。その一方で「集団の叡智を集結しないと変えられない世界もある」ということも痛感しました。個人の力ではなし得ないことも、集団の叡智、つまり組織力によって実現できることがあるとわかったんです。そこで、帰国後は再び組織に所属しようと考えを改め、国際貢献ができそうな会社を探すことに。そこで出会ったうちの1社が、スズキでした。

Episode 02入社後の流れ

他社が足踏みする新興国へも参入していく。
そのチャレンジングな企業精神と、私の想いが合致

当社の他にも大使館や新興国向けの人材育成開発会社、大手電機メーカーなどから内定をいただきました。その中から当社を選んだ理由は、「事業を通して国際協力を継続したい」という私の想いを果たすフィールドとして最適だったこと、そしてその気持ちを真摯に受け止めてくれたということに尽きます。

スズキには他社が進出をためらうような様々な問題を抱えた地域にも果敢に挑戦していくスピリットと先見性があります。スズキ車は一般国民にも手が届く価格帯での車を展開しているため新興国のエントリーカーになりやすく、そのうえ自動車の現地生産による雇用の拡大と産業の育成にも力を入れていることから、自動車メーカーを自分の国際協力のステージにするならばスズキしかないと考えていました。そのため、前職の自動車メーカーを含めて他のメーカーは1社も受けていません。また、私は個人でJICA時代にパプア・ニューギニアに設立した空手道場の支援を帰国後も続けていきたいと考えていたのですが、面接で「入社後も個人としての国際協力は続けるべきだ」とおっしゃっていただけたことも大きかったですね。

入社後まず配属されたのが、浜松本社の海外営業本部。四輪のアフリカ担当として、最初はOJTで実務を学ぶところからスタートしました。前職が自動車業界だったとはいえ、自動車自体については知らないことが多かったので、スズキのことや自動車のこと、アフリカのことなど自ら進んで勉強していきました。その一環としてJETROやJICAが主催するセミナーに参加したり、JICA時代のつながりを使って知り合いから情報を得たりと色々な手段を使って学んだものです。一方で、商社時代に徹底的に鍛えられた課題解決の手法や海外駐在を含む様々な経験、修羅場を通して得たいくつもの成功体験が現職でもすべての業務においてプラスに作用していると実感しています。

Episode 03スズキならではのやりがい

現地生産によりアフリカやミャンマーで雇用が生まれ、
笑顔で車に乗る市民を見るのが喜び

アフリカを担当していた当時は、約30カ国の販促営業活動を他のメンバーとともに行っていました。正直、仕事量は多かったですが、そんな中でも実務に忙殺されてただこなすだけではなく、自分なりに思考を巡らせながら積極的に提案していくことを心がけていました。しかし、当然ながら上司は私の何十倍、何百倍も詳しいわけですから、問題点を指摘されることや提案を却下されることは数え切れないほどありました。それでも、上司の知識やノウハウを取り入れつつ、良いと思ったらどんどん発信しながら這い上がっていきましたね。前職時代に訓練された解決手法や真の原因を探るデータ収集力、現状把握力などが役に立ったと思いますし、そして何よりも最初に掲げた志や使命感を決して忘れないことを肝に銘じて取り組んできました。入社1年程度で係長に昇格できたのも、おそらくそうしたスキルやタフさが評価されたのではないかと考えています。

その後、アジア担当を経て2021年1月、ミャンマーに赴任。現在はミャンマーの現地法人「スズキミャンマーモーター社」にて部長として販売、マーケティング、市場調査、商品企画、販売網拡大、事業計画策定、教育プログラム策定、人材育成などの各業務の推進、マネジメントに従事しています。最もやりがいを得られるのは、スズキ車を買って喜んでいる姿や楽しそうに車に乗っている姿を実際に見た時です。それはアフリカでもミャンマーでも変わりません。現在はミャンマーの人々のために、現地で生産した車を1台1台丁寧に販売していくことが私の役目であり喜びであると日々痛感しています。

Episode 04会社の雰囲気・職場環境

外で培った視点は私の強み。
自分らしさを活かしつつ、力を尽くしたい

スズキは、質素倹約で真面目な会社です。プロパー社員の方は謙虚で温和な方が多く、全体的に和を大切にする雰囲気があるので人間関係に疲れることはありません。どの企業もそうであるようにスズキにはスズキの独特な企業文化がありますが、私はこれからもそこに染まることなく、異なる企業文化で身につけてきた「外部の視点」を大切にしながら業務に取り組んでいきたいと思っています。それは私自身の強みであると同時に、こうした姿勢はキャリア入社者の役責だと考えているからです。

私は福岡出身で大学からは東京に住んでいたため、当社に入社する際に家族で浜松に引っ越してきました。移住することには何も抵抗はありませんでしたね。なにせ、パプア・ニューギニアではトイレもない、海が風呂といった生活でしたから。帰国後は田舎で暮らしたいという思いがあったので浜松はちょうど良い土地だと思っていたものの、いざ来てみたら想像以上に都会だったのはちょっと残念でしたが…(笑)。ミャンマーに赴任する前は週末を利用して車で東海から北陸にかけて足を延ばし、家族で色々なところにでかけていました。現在、家族とは浜松とミャンマーで離れていますが、日頃からSNSツールを使ってコミュニケーションをとっています。

組織人として、新興国の雇用確保や国民への自動車普及という形で国際協力を果たしつつ、個人としての国際協力も続けることができていますが、私が入社当時に掲げた「個人として、組織人としての両面から国際協力を果たしたい」という志を叶えることができているのは、ここスズキだからこそ。この夢の舞台で、青年海外協力隊で味わった現地人との心を裸にした付き合いを今度はビジネスを通して実現させ、これからも現地の人々とともに同様の汗を流していきたいと思っています。

私のお気に入りポイント

新興国をメインの舞台に現地生産販売を手掛けるスズキは、まさに事業を通して国際貢献を行っている自動車メーカーです。その背景にあるのは、「リスクは付き物」と腹をくくって他社がやらないことにも果敢に挑戦するスピリット。このチャレンジ精神こそ、私が最も共感するポイントです。私のような目的意識を持つ方や、国際貢献以外でも何か成し遂げたいことや志がある方にはきっとハマると思いますよ!